宮城過労死考える家族の会の結成記念講演会が、4月20日(土)の14時から、エルパーク仙台セミナーホールで開催されました。参加者は、60余名で盛会に終わりました。参加者のみなさんの講演についての感想は、①過労死家族の苦悩や悩みを間近に聞くことができ、我が家の家族の働き方に注意したい。②どうして長時間労働は、なくならないのか考えさせられた。など、多くの感想が寄せられ、過労死への関心を高めるきっかけとなる講演会になりました。
寺西笑子さん(全国過労死を考える家族の会代表)からのお話
寺西笑子さんからは、ご自身の夫の「過労自殺」(1996年2月に被災)の経験を話されました。当時はまだ「過労自殺」の労災申請する事例がない時代で、いろんな弁護士さんに相談しても、前例がないから認定はかなり困難だと諦めざるを得ない返答が多かったのですが、「過労死110番」の弁護士さんに、夫の死亡の原意は、長時間労働による過労と上司の人格否定の執拗な叱責によるもの以外は考えられないと弁護士さんに粘り、被災者の立場に立って労災申請でたたかうと変えさせ労災申請をしました。
しかし、労災申請の壁は厚く、「立証責任」は申請者側にあると言うことで、会社側の協力を得られないばかりか、同僚の証言にも圧力がかかり証拠隠蔽が大変で困難を極めました。夫の残した、手帳やノートのメモ、家族の記憶を寄せ集めて、死亡してから3年目の1999年3月に申請に漕ぎ着けましたが、認定基準がなかったのですが、同年の9月に労働省で「精神障害・自殺にかかる判断指針」が策定されて、初めて労基署から「仕事との因果関係が認定」されて、労災が認定されました。
その後は、企業側の責任を追及して損害賠償請求も行い、被災から10年目の2006年に会社の責任を認めさせ謝罪させ和解が成立した。夫の生きた証としての真相解明、名誉回復に10年6月もかかったのだけれど、なぜこんな長いたたいができたかと言えば、同じようなことで苦しんでいる「家族の会」や弁護士さんをはじめとする支援者の支えがあったからだと思い、「全国過労死を考える家族の会」を立ち上げて、支援を続けているとのお話がありました。参加者から大きな拍手がありました。
広瀬俊雄医師(仙台錦町診療所・産業医学センター長)のお話
日本の産業医学の第一人者であり、仕事と労働者の健康について研究されてきて、過労が原因で死んでも「突然死」と扱われていることについて「過労死」と呼ぶようにした医師です。
睡眠と生活のサイクルが狂うと、大きなストレスとなって健康を損なうことをわかりやすいようにお話をしてくれました。
今の労働環境は、長時間労働、深夜労働、年中無休・24時間社会など、労働者の健康を破壊する働き方が蔓延しているので、健康に働き続けられる社会に直していることが求められていると強調されました。