(河北新報 10月16日)
地方公務員災害補償基金(東京)宮城県支部は15日までに、学校を休んだ東日本大震災の日に津波で死亡した宮城県気仙沼市の小学校教諭を、公務災害と認定した。学校の危機管理マニュアルに震災時の緊急招集が明記されており、学校に向かう途中だったと推定した。目撃証言はないが、津波は壊滅的な被害が広域に及ぶため弾力的な運用に踏み切った。
教諭は気仙沼市馬籠小5、6年担任だった村田敏さん=当時(43)=。遺族らによると、昨年3月11日は学校を休み、午前中に市内の病院で、公務中のけがの治療を受けた。その後、津波に巻き込まれ、自宅がある宮城県南三陸町の志津川湾内で遺体が見つかった。
遺族は昨年9月、敏さんがマニュアルに従い、地震後に自宅からバイクで学校に向かっていたとして、基金県支部に公務災害認定を申請した。目撃証言がなく、審査は長期化したが、今月3日付で認められたという。
学校の危機管理マニュアルは「(職務時間外も)震度5以上で職員は学校に緊急集合する」と定めていた。基金県支部は認定の理由を「災害配備に組み込まれた職員は特段の反証理由がない限り、マニュアルに応じて職場に向かったと推定した」と説明する。
土井浩之弁護士(仙台弁護士会)は「緊急時は非番の警察官や消防士らと同様、先生も学校に駆け付けるものだと認められた意義は大きい。大規模災害時の適切な補償につながる」と話した。
基金県支部によると、震災で死亡・行方不明になった宮城県の地方公務員は149人。うち143人から公務災害申請が出され、これまでにすべて認められている。
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